むこぶとゆかいな仲間たち
札幌を拠点に活動するピアニスト&ワンネスディクシャインストラクターむこぶこと有本紀(トシ)のブログです。 ライブ・イベントの情報・報告、その他日々のさまざまな出来事、考えたことなどをお知らせします!

奈良 その1

2月の連休に実家に帰ったついでに奈良に行きました。
前の日に東大阪で用事があったので
奈良のホテルに泊まりました。

小6のとき修学旅行で行った奈良。
朝、ひとりで早起きして思い立ち、奈良公園へ。
東大寺や興福寺、春日大社などをぶらぶら。

スケールが大きくて驚きました。

修学旅行で来たときのことは全然おぼえてなかったけど
東大寺や興福寺や春日大社やら
全部敷地内に含んでいるのが奈良公園。
京都とはイメージが全然違いました。
敷地が広大なので、
中にいると異次元の世界に迷い込んだよう。
だけど、歩いている人たちは
普通の現代の地球人でした(あたりまえか)。
東大寺の大仏はまだ開門前だったので
門の外から座ってる下半身が見えただけだけど
でかくて衝撃。
寺の門とかも柱ひとつとっても
いちいちスケールがでかくてそれだけでも衝撃的でした。
こんなとこに数日過ごしていたら
まちがいなく人間何かが変わりそうです。
1週間くらい奈良公園に滞在して外に出ない、
そういうのやってみたくなりました。


修学旅行のとき若草山の前にある
旅館に泊まった覚えがあったので行ってみました。
ここも奈良公園の敷地の端みたいな位置にあります。

あったあった。
にわかに記憶が甦ってくる。
旅館に入る前に若草山に登ったんだ。思い出した。
ガイドブックを見てみると由緒ある有名な古い旅館で
谷崎潤一郎も常宿にしていたらしい。
修学旅行の時はそんなことは知らなかったし
古くてぼろい旅館という印象だったけど
うーん、今見るとどう見ても高級旅館である。
ガイドブックにも18,000円〜とか書いてある。
どうして修学旅行で泊まれたのだろう?
不思議な気がします。

満足?ガス抜き?

奈良の続きは次回に。

昨夜は写真ガーZから突然電話がかかってきて
ヤシンカと3人で北24条のHEAVENに久々に行った。

フォトアーティストと記者の2足のわらじを履く
写真ガーZは取材先の島根県の松江から飛んできた。
明日(今日です)の取材では
積丹の海に潜ってトドを撮るとのこと。
ただ、トドとは事前にアポがとれないから会えないかも…と。
潜ってみるといかに人間が狭いエリアに生息しているのか、
ということがわかるとのこと。

1年半前のHUWV50周年記念以来1年半ぶりの再会だ。
お互いの近況について語り合う。
焦点はやはり内面のことについて。

人の眼に見える「かたち」を結果にしているからといっても。
やはり、やっている「その人」がこころから充実し、
満足しているとは限らない、ということを確認する作業。

「自分と向き合うことを巧妙に避け、
刹那的で中途半端な充実感や満足感に酔って
ガス抜きをするためのパフォーマンス」

「だからどうした!」

誰が「ガス抜き」だなんて、
そしてそれがダメだなんて言った?
自分が言っているだけじゃん。
自己批評なんてぶっとばせるくらいの「幸せな満足感」。
まずはいつも「幸せ」な自分を取り戻してスタート地点へ。
その地道な作業は長そうで短いかもしれない。
発想の転換だ。
「タイムドメイン」がなぜあのすばらしい音を獲得できたか。
それは、はじめから神に「近づこう」と
考えるのをやめたからではないか!


今度はモホイ・オトコスキー氏のつくってくれる
美味しいカクテルをゆっくり飲みに行こう。

阪神電車の思い出

sh0124.jpg


ちょっと前になるけど
2月の連休にヤシンカと実家に行ってきた。
神戸空港着だったので三宮から阪神電車に乗る。
京阪神ではJRより子どもの頃のなじみの
阪神や阪急に乗るのが楽しみだ。

3歳まで住んでいたのが阪神甲子園駅のそばだった。
毎朝出勤前の祖父と踏切まで散歩して
行き交う電車を眺めてくるというのが日課だった。
休みの日には大好きな電車に乗るために
神戸の須磨浦公園に連れて行ってもらったり
梅田まで行って立ち飲みスタンドのミックスジュースと
阪神百貨店にある「うどんすき」で有名な老舗
「美々卯」で鳥南蛮うどんを食べ、
電車のおもちゃを買ってもらって帰ってくる。
そんなおじいちゃんが大好きだった。

昔の自分とおんなじような小さな男の子と
おじいちゃんのコンビが向かいの席にきた。
なんか親しみを感じる。
電車好きの男の子に悪いヤツはいない(ハズだ)。
列車のいちばん前の席なんだけど、
運転席側なので前方の景色は見えない。
僕は運転席側でないのでパノラマ席である。
こちらはめったに乗れないので席を替わってあげなかった。
「また次乗ったときでいいでしょ」と心の中で(笑)。

さすがに30年もたてば車両も新しくなっているし
地べたを走っていたところも
ほとんどが高架化されてしまったけど
見覚えある車窓もたくさん残っている。
小学2年から4年まで住んでいた尼崎から
週末に通っていた武庫川の線路沿いにあった
少年野球のグラウンドがなくなってビルが建っていた。

梅田のジューススタンドはいまだ健在。
どうやらちょっとした名所になっているらしい。
40年間やっていると張り紙してあった。
久しぶりにミックスを飲んだけど昔とおんなじ味に思えたな。
美味しく懐かしく嬉しくなってしまう。

美味しいうどん屋さんはほかにもたくさんあるし
美々卯の支店は大丸にもあるけど
やっぱり阪神百貨店の美々卯に行ってしまう。
奮発して鴨南蛮にしたけど、
やっぱりここではあっさりした鳥南蛮のほうが好き。
それこそ「美々卯の鳥南蛮」こそが
僕にとっての「ソウルフード」なのか。
昔は8階にあって(今は10階)外を眺めて食べた覚えがある。


写真は阪神梅田のジューススタンド

一日散歩きっぷ

「一日散歩きっぷ」というのをご存知ですか?

札幌近郊の駅で週末だけ発売されているきっぷで
西は長万部、東は美瑛、新得まで、
室蘭や浦河の先の日高線の終点様似まで
鈍行列車なら一日乗り放題で2040円。

前から使ってみたかったが、
日曜の朝、眼が覚めて思い立ちひとり札幌駅へ。
家を出た時猛吹雪だったので
「こりゃ太平洋側に逃げるのが正解」と
駅で時刻表をめくるといい感じで日高方面へ
乗り継ぎがあるので、様似行きに決定。


8時45分ごろ発の苫小牧行き各駅停車に乗る。
地下鉄と同じロングシートの電車なので旅気分とは程遠いが
空港へ行く時いつも快速エアポートなので
平和だとか島松だとか普段通過する駅に
いちいち停まるのが新鮮。

千歳過ぎるとだんだん晴れてきた。予想通り。


苫小牧から日高線の単行運転のディーゼルカーに乗る。
車両は僕が小学校に入った頃に登場したキハ40。
瞬く間に日本中の多くのローカル線を制圧してしまった車両。
いろいろ鉄道少年的な理由でにっくき存在だったが
30年たった今となっては昭和の香りをかろうじて
残す貴重な車両となっている。
4人掛けのボックスシートに窓の開くヤツですね。

初めての線路にワクワクする気持ちは
子どもの頃よりずっと少ない。
余計なことを考えるからだなあ、と思い
車窓を眼で、耳でジョイント音に集中しようとしたりする。
子どもの時は列車に乗りながら瞑想していたようなものだ。
すごい集中力だったのだなあ。


静内からは少しずつ晴れてきて
海岸線の景色も変化に富んで楽しい。
三石にある温泉に寄ろうか迷ったけど結局やめて
終点の様似まで行くことにする。

苫小牧から約3時間で着いた様似は終着駅。
この先には線路はない。
ホーム一本に1両の気動車。
典型的な寂しい終着駅だけどいまや貴重。
ずっと客も少なかったけど昔は賑わっていたことだろう。
急行列車も走っていたくらいだから。
賑わっていたころに思いを馳せてみたりする。

様似では1時間程時間があったので小さな町をぶらぶらする。
海岸の砂浜を歩くと晴れていて海が綺麗だし
東の方にはアポイ岳がきれいに見えていて気持ちよいなあ。
だが風が強くて寒いので長くは外にいられない。

帰りもずっと空いていた。
浦河までは僕ひとりだけだったし…。
静内を過ぎて美しい夕焼けが太平洋に広がるのを眺めながら
ぼんやり列車に揺られる。


1日列車に揺られて帰ってきた夜の札幌は
いつもの大都会だった。

真冬の雨

ひさしぶりに映画館で映画を観た。

150分の映画を観終わって外に出ると雨の夜。
地下鉄に乗ってバスに乗り換える。

真冬の夜の雨。
風もなく寒さもない。
ただ雨と雪融けの匂いがするだけ。
北陸か東北に旅に出てきたような気分だ。
バスの窓から見える景色は
見慣れた街並みなのにいつもと違う。

新鮮と言うより「違和感」。

北海道にいて真冬の雨に慣れる日が来るのが怖い。

快晴の朝に

天気が良くて気持ちよいですね。


昨夜の日記はかたくるしくていけねえや。

けどそれも悲しいかな自分自身の姿…


天気が良いので笑い飛ばしてしまおう(笑)!

ひとりごと(?)

夕食後、ヤシンカと散歩がてら円山方面へあるく。
数年ぶりに森彦でお茶する。
時間の流れのゆったりした空気感は変わっていないようだ。
客のいない店内にMJQのCDがかかっている。

そこで自分にとっての課題図書を読んでいて
突然気づかされた、とても大切なこと。

壊れた人間関係の修復について。
自分が誰かを許せない気持ちは
その人から許されていない
=なんらかの形で傷つけられている、
そう感じているときに起きる。
だけど、相手が自分を傷つける=許さない、のは
実はその前に「何らかの形で自分が相手を傷つけた」
ということを意味する、ということ。

人は理由もなく他人を傷つけようとはしないし非難もしない。
その理由が自分にとっては理不尽なことであったとしても
それはその人にとっては非難するのに十分なものなのだ。

そのことに気づいたとき、僕の左半身が融けた。
とても大切なことが自分の身体の中に入ってきたとき
決まって左半身が反応する。
そういう身体になってしまった。



藻岩山の方に向かって歩く帰り道。
快晴、満月、星空、無風、この時期にしては高すぎる気温。
季節外れの雨降りでザラメになってしまった雪が凍った匂い。
これはまさに春山の夜の匂いだ。
いつどこの山行だったか。
夜中にテントから外に出て仰ぐ3月の裏大雪だったか。
身も心も芯から暖めてくれる
灯油ランプと石炭ストーブの燃えさかる
春の夜更けの奥手の小屋から仰ぐ星空だったか。

言えるのは今年の冬はいつもの冬とは違うということ。

満月のエネルギーを口からいただくと、また左半身が融けた。



家に着いてから久々にJAZZのレコードを聴く。
サンジェルマンのメッセンジャーズのライブ。
J.J.ジョンソンのクインテット。
アルバータ・ハンター。
久々にディープな3枚を聴いたあと、
エリントンとミンガスとマックス・ローチのトリオ。
実に邪悪な演奏だ。
とくにミンガスがエリントンのもっている邪悪さ、
もしくは「邪悪さに対する共感」を
引き出しているように思われる。
邪悪さ満載だからこその豊かな音楽だ、このレコードは。
人間誰もが持っている邪悪な要素。
しかし、邪悪とは文字通りとは限らない。
最高という時、なぜ「悪」と言いたいのか。
夏山登山の沢登りの世界でも
険しく切り立った、攻略するのが難しい深い渓谷を
「険悪」とか「悪絶」なハコ(函)という。
そして、そういうところに限って滅法美しいのだ。
そして「ひどい」「険悪だ」と言いながら
わくわくとした喜びを感じている。
滅多に人目に晒されることのない美しさに酔いしれる。

「邪悪さ」も「悲しみ」もそれが美や快に昇華されたとき、
その人の持つネガティブな要素と重ね合わせて
それを肯定し、乗り越える力になることができるのか。



ひとりごと度の高い日記を自分はなぜ公にしたいのか。
と、ふと考えてしまっている。深刻ではなく。

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